あきらめ猿

 猿が猿であることをあきらめたらこうなる。
 静岡県の山奥に暮らす猿の、――仮に名前をギャバとしよう――ギャバは突然猿であることをバカバカしく感じるようになった。木を上ってキヒキヒ騒ぐのにも、果物が美味しいと思うのにも、他の猿の毛づくろいするのも、全部が全部無意味である。たまに人間に会って逃げるのもどうかと思うし、イノシシを怖がるのも違うと思う。
 そう考えたギャバは静岡駅のデパートまで出かけていき、駐車場で寝転がった。いかにも猿らしくしないために、猫や犬のような動きをしてフェイクを入れた。人間たちは最初、ギャバを見て猿だとは気づかなかった。猿に似た犬か猫だと本当に思ったくらいだ。
 しばらくしてやっと猿だと気づかれたギャバは、人間に捕まり、珍しい動きをする猿だとして動物園で売り出された。だがギャバがあまりに覇気がないのを見て、人々は興味をなくした。やがて動物園の幹部たちの判断により、ギャバでは金にならないとのことで釈放された。獣医が見たところによると、ギャバは軽い鬱病ではないかとのことだった。
 ギャバはそのような診断を聞いて、心の中ではせせら笑っていた。自分は鬱病などではない。ただ猿であることをあきらめただけにすぎない。このようなことを考える猿は、地球の歴史が始まって以来、初めてだった。そのことを直感的に気づいたギャバは、自分の使命はこの哲学を広めることだと思い、静岡の山へと戻った。ギャバは他の猿を捕まえ、猿であることをあきらめようと必死に説いた。しかし、他の猿は誰もギャバの言っていることの意味がわからなかった。
 ギャバはこの猿たちに愛想を尽かし、静岡だけではなく日本を捨てることにした。船に密航したギャバはアフリカに行き、ヨーロッパを回り、アメリカ大陸へと飛んだ。海外との猿とのコミュニケーションは文化が違うために難しかったが、ギャバの意見に賛同してくれる猿は多かった。ギャバはそれを見て、日本の猿はダメなんだなあと痛感した。
 やがてギャバと同じように、猿であることをあきらめた猿が日本を除いた世界中に少しづつ増えるようになった。こういった猿を、人間たちは気味が悪いと言って迫害した。「猿は猿らしくしてろ!」というのが人間たちの主張だった。これらのあきらめ猿たちは集団となり、新しい群れを作ろうとしたが、それもまた人間たちに妨害された。人間たちは、あきらめた猿を見ることが怖かったのだ。猿には猿らしく、勝気に振舞っていてほしい。もしも猿がうつろな目で人間のことを眺めるようになったら、人間は耐えられないのだ。
 ギャバは猿たちを先導した首謀者ということで中東のイエメンで国際警察に逮捕された。海外の猿たちの間では、この逮捕は話題になり、不当逮捕だということでデモが起こった。しかし、国際警察はギャバを絶対に釈放しないと決めていた。彼らはギャバの存在がいかに脅威かということを知っていたのだ。
 このことは日本でもニュースになったが、ギャバが日本生まれだということを知っても、視聴者たちは「はあ、そうなの」という感じで、誰も興味を持たなかった。日本の猿たちも、誰もギャバのことなど覚えていなかった。