西口は無表情

 私の悩みは明るい性格で声が大きいことだった。とにかく何かあるにつけ、笑いが止まらなくなってしまい、仕事中にもゲラゲラと笑ってばかりいた。小さい頃は病気かと思って病院に行ったこともあった。しかし、医者はただ一言、「何の問題もありません。ただ人より明るい性格なだけです」と言った。
 世間の人々は私のような明るい人間が好きみたいで、やたらと人が集まってきた。贅沢な悩みと言われればそれまでだが、私自身はこういう自分のようなタイプが嫌いなのだ。できることなら、性格を改善して、こんな自分を脱したいと常日頃から思っていた。
 そんな私だから、同じ会社にいる本島篤志には本当に憧れていた。本島は寡黙なタイプで、感情も全く表に出さず、人とのコミュニケーションをとらないタイプだ。よく同僚たちは私を引き合いに出して、「川崎に比べたら暗い」だの「何を考えているのかわからないから川崎を見習え」と本島を注意したが、私としてはそんなことをするのはやめてもらいたかった。私が本島のようになりたいと言ったら彼らはどういう反応を示すだろう。
 私はその前日の飲み会で宴会芸を任されたことに不満を持ち、ついに本島に話しかけてみることにした。「ちょっと、仕事が手すきなったら給湯室に来てくれるかな」
「いまでもいいですけど」本島が通らない低い声で言う。これだ、この声に私は憧れているのだ。
 私と本島は給湯室で顔を合わせる。私が一番聞きたかったことを訊ねる。
「どうしたら本島みたいな性格になれるんだ」
 すると、本島は意外な答えを口にする。「西口に行くことです」
 本島が説明したところによると、戸塚駅の西口には、確実に無表情になれるスポットがあるという。私は礼を言い、その日仕事が終わったら駆けつけることにした。
 本島が言う場所はすぐに見つかった。戸塚駅の西口には、どんよりとした空気が漂う場所があり、そこに佇んでみると、驚くほど無表情になれた。これが自分なのか?と自分でも驚いたくらいだ。
 私はそれ以来、仕事が早く終わると戸塚駅西口に行き、終電まで無表情でいるように務めた。戸塚駅西口はまるで自分にとって天国だった。性格は日に日に暗くなっていき、口数もめっきり減った。何を考えているか全く表情に出ないようになった。
 そんな私を同僚たちは心配した。「何かあったのか?」「悩みがあるなら聞くぞ」しかし、私は完璧な無表情でこれに対処し、人々は私にそこまで頼ることはなくなっていった。私は放っておかれることがこんなに気持ちのいいものだとは思わなかった。
 しかし、我が社も不況の波に襲われ、以前より仕事が忙しくなってくると、西口に行ける時間もめっきり激減した。すると、みるみるうちに私は以前の明るい性格の私に戻ってしまった。同僚たちは「川崎が元に戻った」「それでこそ川崎だ」と言って再び寄ってきた。私は鬱陶しくて仕方がなかった。
 そんな忙しさがあまりに続いて心身ともに限界が来たため、私はどうしても残業しなくてはならない日に「早退させてください」と言った。課長からは理由を述べるようにと言われ、私は正直に「西口に行きたいのです」と言った。さらなる説明を求められたから、西口の持つ効能についての説明をすると、課長経由でその噂は瞬く間に社内に広がった。
 その翌日、私が前日に西口に行ったことでずいぶんな無表情に戻って出社すると、社内の人間が次々と話しかけてきた。彼らは自分も西口に行ってみたいと言うのだ。私は西口の存在を教えてもいいかどうか本島から許可をもらい、この際だから社内全員で行こうと言うことになり、その日の仕事を全て中断させて西口に向かった。
「ここですよ」と私と本島が指差すと、同僚たちはその場所に集まり、全員が無表情になっていった。私と同じくらい明るいと言われていた村山和子は、「こんなに無表情でいるのが楽だとは思わなかった」と絶賛した。なんてことはない。皆誰もが、無理に表情を作ることに疲れていたのだ。それ以来、社内の全員が西口に行くことにハマるようになり、私が西口に行くと、社内の誰かに会うことが多くなった。さすがにあまりに多い人数が殺到するから、別の場所を探そうという話にもなったが、戸塚駅西口を超える場所は存在しなかった。だがしかし、この西口のおかげで、職場のほとんどの人間が無表情になっていった。誰もがそんなに無表情だったら職場の雰囲気が殺伐とするのではないか?とよく外部の人間から聞かれるが、それは素人考えだ。我が社は無駄な愛想笑いもなく、それぞれが仕事に集中することもでき、会社の業績は以前よりも上がった。そのため、新入社員が入社してくると人事部の人間がまず最初にすることは、彼らを西口に連れて行くことだ。すると、ガッツに燃えて入社してきた鬱陶しい若者たちが次々に無表情になる。