モールス息子

 宮城県にある小さな町に住む青山司郎の息子・健太は、大学卒業後に「モールス信号のような小説が書きたい」と言って家を出て行った。司郎はそれ以来、毎晩のように晩酌のビールをあおりながら妻の杉江に愚痴をこぼす。
「モールス信号のような、って一体どういうことだ? 俺はあんまり小説のこととかわからんけどさ、モールス信号と小説なんて全然別物じゃないのか? 第一、俺が苦労して働いて大学まで入れてやったって言うのに、どうしてこうなっちまうんだよ。あいつが就職すれば、俺も安心して定年を迎えられると思ったのに。モールス信号なんて言っているうちは辞めれないじゃないか」
「仕方ないわよ。今の若い人たちが何を考えているかなんて、私たちの世代がわかろうとしたって無理なことなのよ。ほら、ニュースを見てたってインターネッツがどうとか、携帯式電話がどうとか、そういう難しいことばかりでしょ? モールス信号みたいな小説とかも、もしかしたら今の若い子たちも好きなのかもしれないわよ」
「俺なんか、生まれてから本なんて一冊も読んだことないっていうのによ。全く、親子ってのはわからないもんだよ」
 すると、その会話をしている最中に、テレビ番組から聞き覚えのある声が聞こえてきた。健太の声だった。
「そうですね。僕は全然本に囲まれて育ってはこなかったんですが、大学2年生のときに入ったテニスサークルで、新歓コンパをやっているときに急に思ったんです。僕は小説家になろう! モールス信号みたいな小説を書こう!って」
「いきなりモールス信号ですか? 三島とか夏目とか太宰とか、そういうのは抜きで?」
「はい、全然読んだことはありません。ただビビビっと来たんです」
「すごいですね。ありがとうございました。今日は新進気鋭の小説家・青山健太さんにお越しいただきました」
 司郎と杉江は画面を凝視したまま動けなかった。
「おい、今の健太だよな」
「そうですね」
「大変なことになったぞ。親戚連中に電話しないと! これからサインを書いて近所にも配らないと。おい、おまえ、健太の電話に電話してみろ」
「わかりました。携帯式電話にかけてみます」
 杉江が健太の携帯にかけても誰も出なかった。
「忙しいのかもしれないわね。テレビに出るくらいだから当たり前よね」
 このとき健太は、マスコミからのインタビューを受けている最中だった。健太の書いた小説は本当にモールス信号のような、としか表現できないようなものだった。健太は全ての文をモールス信号のように書いた。「わーわわーわわーたしーはああーななななーたーたたーたのーーこーとーがーがーがすーきききーきーでーすー」この前衛的な文体は新しいもの好きな知識人たちの間で旋風を起こし、一躍青山健太は2011年を代表する時の人となった。
 しかし、2作目に書いた「モーモーちゃーん、そーれーとってー」は1作目の「ハーハハーおもーしろいー」ほどのヒットには至らなかった。人々は健太のモールス文体に飽き始めていて、「あのモールス信号の前衛作家がついに新作を発表!」と本の帯に書かれた力強い文字も虚しく響いた。焦った健太は起死回生を狙って3作目「はーやくーしなーいとーちこくするー」を書いたのだが、これはわずか13部しか売れなかった。出版社はもうさすがに普通の文体に変えるようにすすめたのだが、これを健太が頑として聞かず、結局は1作目、2作目と同じモールス文体を使い撃沈した。健太はモールス文体とともに心中したのだった。
 親元を出て行ってから12年したのち、生活に困窮した健太は実家へと帰った。両親は温かくこれを迎え入れ、東京ではもう完全に忘れられた存在だったにもかかわらず、健太は親戚や近所のアイドルとなった。誰も健太のことを、一発屋とか言う人はいなかった。いまだにサインをねだられ、芸能人と会ったときの思い出を聞かれた。これに気をよくした健太は、親戚が経営しているふとん工場で働くことが決まっていたが、働きながらもう一度モールス信号のような小説で勝負してみようと決めた。その決意を聞いた父親は、たぶん無理だろうと思いながらも、一度息子がテレビに出たりしている姿を忘れられなかったため、自分の部屋を書斎として使わせて陰ながらバックアップすることにした。