みんな疲れる

 モーモー幼稚園で「正しい疲れ方」の講義を行っている三原真司に対する父兄からのクレームはとどまることを知らない。三原はモーモー幼稚園の片桐園長の同級生であることを理由に、同幼稚園で講義をすることを許された。そもそも三原の表向きの職業は、疲れ研究家という甚だ怪しいもので、普段はインターネットで疲れた人たちへの人生相談を細々と行うかたわら、近所のガソリンスタンドでアルバイトをしている。
 三原の主張する内容はこうだ。人間が疲れるのは当たり前で、この疲れ方のベクトルを間違えなければ人生がハッピーでバラ色になると言うのだ。疲れ方というのは、大人になると確立されてしまうものだから、できることなら小学校に入学する前の未就学児が望ましい。そこで三原は同級生が園長をしているモーモー幼稚園のことを思い出し、熱烈プッシュをしたというわけだ。片桐園長は、小学生の頃に三原から借りたファミコンディスクシステムにポタージュをかけて壊してしまったという負い目があり、この申し出を渋々受け入れた。しかし、ここまでのクレームが来るとは片桐も思っていなかったのだろう。
 父兄からのクレームの内容は、園児たちが帰宅すると、口々に「疲れた、疲れた」と言うことだった。しかもその疲れ方というのが、大人たちが見たことのないタイプの疲れ方であり、タコのように踊りながら「疲れた、疲れた」と言ったり、前歯を3回叩いて、2回転回って、もう一度前歯を3回叩いて「疲れた、疲れた」と言ったりと、そのやり方はバラエティに富んでいた。これらのクレームを聞いた片桐は、三原をクビにしようと思って園長室に呼び出した。
「三原さ、父兄からのクレームがすごいんだよ。もうやめてくれないかな。『正しい疲れ方』教室をさ」
「バカを言わないでくれ。あと1、2年頑張れば結果が出てくるんだ。それまであと少しの辛抱だ。父兄って言うのは、間違っていることしか言わないものだ。騙されたと思って、俺の言うことを聞いてほしい」
 三原からここまで言われた片桐は、断るわけにいかなかった。片桐も自分なりに父兄への不満は溜まっており、なんとなくヤケクソになっていたのも事実だった。片桐はその次に開かれた父兄会で、「『正しい疲れ方』教室はやめません。もしもそれが不満で我慢できないという方は、退園していただいてもかまいません」
 この園長とは思えない強気な発言に父兄たちはどよめいた。しかし、誰も退園する者はおらず、片桐もその程度のクレームなのかと拍子抜けするばかりだった。
 この話には後日談があり、時計の針を20年後に進めたいと思う。ある週刊誌が報じたところによると、スポーツや経済、芸能などの分野で活躍する23〜25歳の若者たちの出自を調べたところ、なんとこれら全ての人間がモーモー幼稚園出身であるということがわかった。この時の三原の講義が彼らの人生を変えたのだ。若者たちの父兄がインタビューに応じたところによると、「ああ、そんな講義もあったかもしれませんが覚えてません」と言うものが多かった。実際、モーモー幼稚園は経営破綻で20年前に閉園しており、三原もその時に行方がわからなくなっていた。その後も何度か、「正しい疲れ方」講座をしようと各幼稚園や学校に売り込みをしたものの、どこからも受け入れられなかったということだ。週刊誌は三原の行方を総動員をかけて探った。もしかしたら三原の講義がこれからの日本を変えるかもしれないからだ。ところがその行方はいまだ見つからず、生きているのかどうかもわかっていないと言う。