ムサボリン警戒

 私は、皆に、警告する。今すぐムサボリン警戒をやめなさい。ムサボリン警戒は自分の人生を滅ぼすだけであるからして、つまりそれは有害なのである。
 ムサボリン警戒は5年前くらいから流行った思想形態であり、今はその名前を知る人はいない。ジャーナリストの春日久作が「貪るように不正を暴け!」と訴え、国民たちはそれを信じた。ある雑誌記者が「春日さんのやり方を命名するとするならば、ムサボリン警戒だ」と言ったことをきっかけにその呼び名は爆発的に全国へと広まった。
 だがしかし、私は一国の大臣として警告しなくてはならない。その生き方は危険なのである。隣の人を疑って何のメリットがあろう? テレビや新聞を疑って何の得があろう? 答えは否ではないか。皆、昔の古き良き時代に戻ろうではないか。テレビや新聞が我々の暗くてささくれた人生に光を与えてくれたことに感謝しようではないか。もう一度言おう、ムサボリン警戒は今すぐやめにするべきだ。それは君の人生を疲弊させ、やがて君は抜け殻となるのだ。ムサボリン警戒をやめさえすれば、そこには猜疑心のない、風通しのよい世界が広がっているのだから。
 
 東山修二郎は、テレビで緊急放送された明石大臣のこの会見を見て涙がボロボロとこぼれてきた。やはり、俺の生き方は正しかったのだ。俺の周りでは最近、付け刃のファッション思想であるムサボリン警戒に染まるものたちが多く出てきた。俺は正直不安だったが、親に相談したところ、そんなものに心乱される必要はない!と怒鳴られたので、やはり自分は自分の家に代々伝わる生き方を世襲していこうと思った。それでも同世代たちの流行に背を向けることは辛いものである。自分は間違っているのではないかと何度も自問自答したが、今こうして国のお偉いさんである明石大臣がムサボリン警戒は無駄であると言ってくれたことで肩の荷が下りた。ハンカチで涙をぬぐっていると、父親が横に立っていた。
「父さん、いたのか。恥ずかしいな。泣いてるところなんて見られちゃって」
「泣け泣け、こういうときは泣くもんだ。どうだ。俺たちが正しくて、奴らが間違っていることがこれでわかっただろう。俺たち東山家はお国を信じて生きていけばいい。それだけだ」