敬語を徹底しよう

 こんなときだからこそ、こんなときだからこそ。呪文のように校長先生が繰り返す。敬語で喋ることを徹底しましょう。生徒たちはそれを聞いて、またかよ、と言ったようにうんざりとした表情を浮かべる。俺たちが暮らすこの地域は、敬語を使うという感覚が全く根付いていない。要はガラのよろしくない文化的バックグラウンドなのである。だって、俺の親も、真司の親も、恵子の親も、正志の親も、全員人に言えないような仕事をやっているじゃないか。そんな親のもとで育った俺たちに敬語を使えだなんてナンセンスすぎる。
 校長は東京の一等地で育ったお坊ちゃまらしく、こういうガラのよろしくない土地で仕事をするのが嫌で仕方がないのだろう。何かと言うたびに、こうやって敬語キャンペーンを行い、生徒たちに強制し、自分の職場環境を少しでも良くしようとしているようだ。確か前回は、地元の会社の食品偽装がバレたときだったかな。あのときも、こんなときだからこそ、こんなときだからこそと呪文のように唱え、俺たちに敬語を使うことを強制した。
 それでも1週間もすれば生徒たちは忘れ、やがて普通の小汚い物言いに戻る。そして校長は次なるキャンペーンを計画するというわけだ。
 しかしながら、今回のキャンペーンはちと気合いが違うらしい。全校集会で校長は、「今回は本気で取り組んでいただきたいと思います。こんなときだからこそ、皆さんの民度や礼儀が問われるのです」今の状況と敬語と、いったい何の関係があるのだろうと誰もが疑問に思うが、それでも校長は続ける。「だから今回は、もしも敬語を使わない生徒を発見した場合、外出禁止にします」生徒たちからエーと言った声があがる。俺も、まさかそう来たかと思う。
 それから1ヵ月が経ったが、生徒たちは誰も敬語以外の言い回しを使わない。校長がちらつかせてきた外出禁止の四文字は相当生徒たちをビビらせたようだ。しかし俺は少し不安になる。あんなやつのくだらない都合のために、この町の文化が消えてしまうのだろうか? それは絶対にさせない。スキを見て、敬語みたいに隠蔽体質で遠まわしではない、俺たちのあの、乱暴に聞こえるかもしれないがこれ以上ないナチュラルな言い回しをまた取り戻してやる。そのためなら、俺は、たとえ外出禁止になっても、いい。