キャーまだ

 中学生の頃に同じクラスに生息していた保田雅恵は、中学生らしからぬビッグマウスを叩くことで有名だった。保田は中学1年生のときに、インドを一人旅すると言い出し、全校生徒からの羨望の眼差しを受けるようになった。保田は給食の時間に各クラスを回り、「インドに行ったら何をしたいか」というテーマのトークを行った。その内容があまりに中学生ばなれしていたため、中学3年生の男子からも「あいつは大人だよな」と絶賛されたものだ。
 保田は中学2年になると、バンドでデビューするかもしれないと言い出した。うちらの学校は田舎にあったため、バンドと言えばコピーしかなかった。そんな中で保田がオリジナル曲を作っているとわかったとき、学校中のロック少年たちが保田をカリスマとして崇めたものだった。保田は、自分がどういうバンドを組むつもりかというテーマのトークを、ロック少年たちの前で繰り広げた。保田の語るサウンドはあまりに既存のものからかけ離れており、ロック少年はこれまで構築してきた自信や価値観を崩されるばかりだった。
 もはや教師からも中学生扱いされていなかった保田は、3年生になると、今度は会社を立ち上げると言い出した。東大合格が確実とされてきた秀才たちも、これには聞き耳を立てずにはいられず、保田を招いて勉強会を開いた。保田の語るビジョンは確固として揺るがず、秀才たちは一生懸命メモをとった。東京に行って東大に入学したら、保田が教えてくれたこの哲学を同級生たちに披露してヒーローになろうと考えた。
 私は地味なグループに属しており、保田とは口をきいたこともなかった。確かに保田が廊下を歩くと、その後ろには後光がさしているように見えたし、長時間眺めていることも失礼にあたると思われた。
 中学を卒業して、高校に入り、やがて私は東京の大学に入学した。就職は東京のしがない化粧品メーカーへと就職した。保田の存在など完全に忘れてしまっていた。たまにお笑い芸人がインドを旅している映像を観ると、ああそう言えば中学生のときにインドに行くと言っていた同級生がいたなあと思い出しただけだった。
 そして地元を出て12年が経ち、30歳になった私のもとに、同窓会のハガキが届いた。私は昔の仲間が恋しくなり、出席に丸をつけて返信した。
 同窓会にやってくるメンツは主に地味な連中に違いないと思った。派手な連中は、小さなグループでしょっちゅう会っているものだ。私たちのような地味で行動力のない者たちにとって、同窓会というものは貴重なのだ。案の定、会場へ着くと、自分が仲良くしていた懐かしい顔が多く見られて嬉しくなった。変わらないなと言いながら、挨拶を交わす。そして、ひとりだけ見覚えのない女子がいた。私は挨拶回りをする中で、その女子と話さないわけには行かなかった。
「えっと、誰だっけ」
「覚えてないかな、保田だよ。保田雅恵」
「え? あの保田さん?」
 私が保田と話したのはそれが最初だった。なんとなくそのまま隣に座ることになってしまい、私は保田に近況を聞かざるを得なかった。
「保田さん、最近何してるの?」
「うーんとね、あなたは?」
 保田は私の名前すらも覚えていないようだった。当たり前だ。私の中学時代の存在感なんて、真夜中の大海に浮かぶ1匹のホタルのようなものだ。改めて下島譲二だよ、と名乗るのも気恥ずかしいので私はそのまま会話を進めた。
「僕は東京の化粧品メーカーで働いてるよ」
「え? 嘘! 東京? それ、すごくない?」
 保田がそこまで驚くのが意外だった。私はインドのことなどをその瞬間にフラッシュバックのように思い出し、保田に質問を投げかけた。
「そんなに驚くことかな。保田さん、インド行くとか言ってたくらいじゃない。そう言えば、インドはどうだったの? あ、バンドでデビューするとも言ってたよね。テレビに出たりした? 会社をやるとか言ってたけど、そっちの調子はどう?」
 私が質問を次々とすると、保田は途端に目の焦点が合わなくなり、「あ、あれ? キャー! まだ。まだなのよ。まだやってないのよ」
 私はまずいことを聞いてしまったことを知った。さりげなく話をそらし、トイレに行くふりをして、別の奴の隣に座った。保田はそれ以後、同級生たちから同じような質問をされるたびに、「キャーまだ!」「キャーまだ!」と言って対応していた。