1回しか言わないよ

 小さい頃にチョコレートのCMか何かで使われていた言葉をなぜかカッコイイ!と思ってしまった僕は、それ以来何か一言発するたびにその言葉を言わないと何も言えないようになってしまった。
 僕にとってその言葉は魔法の呪文であり、天使のさえずりであり、賢者の知恵であった。僕はその言葉を言うと、途端にシャイで内気だった自分がどこかへ消え、自信にみなぎる別人が現れるのだった。
 小学生や中学生、ギリギリ高校生まではその言葉をいつも使っていると自信に満ちてカッコイイと言われてきた。しかし大学生になったあたりから、なんでおまえそんなに偉そうなんだよと言う目で見られるようになった。僕はそこで少し不安になった。大学4年生になり就職活動をしたあたりで、その不安が当たっていたことを思い知らされた。
 僕は面接をするたびに、「当社の志望動機は?」と聴かれたりすると、「1回しか言わないよ」と言って話し始めた。もちろんこれは非常に不評なようで、面接官はきまって眉をひそめた。でも僕はこの言葉を使わないコミュニケーションというものを行ったことがなかったから、その他の方法が思いつかなかった。僕は志望した会社を全部落ち、仕方ないからアルバイトをするようになったが、アルバイトの面接だって次々と落ちた。もう僕は働けないのかと思っているときに、奇特な店長と出会うことになり「面白い奴だな、おまえ」と言われてコンビニで働けるようになった。
 ただ、この後が問題だった。コンビニで働くことになった僕は、客から話しかけられてもこの言葉を使ってしまうのだった。
「すいません、缶コーヒーはどこですか?」
「1回しか言わないよ。そこの奥の角にあります」
「宅急便お願いしていいですか?」
「1回しか言わないよ。かしこまりました」
 こんな口の聞き方をするコンビニ店員は日本中のどこを探してもいない。僕に対しての苦情は止まず、店長も首を切らざるを得なくなった。
「ごめんな。この辺りは地域社会とのつながりが強いからさ」
「1回しか言わないよ。いいんです。雇ってくれてありがとうございました」 
 仕事がなくなった僕を見て、母親は心配した。
「あんた勉強はできたのに、どうしてそうなっちゃったんだろ。その言葉使うのをやめることはできないの? 」
「1回しか言わないよ。だからできないんだって。できてたらこんな苦労はしてない」
 父親は僕に対して直接は何も言わないにしても、親としてかなり悩んでいたようだった。僕と家の中ですれ違うと、「おう」と言って挨拶した。いつも何か言いたそうだったが、僕が深く傷つき、絶望しているのもわかったのだろう。簡単な言葉をかけただけで何とかなるとは思っていなかったのだろう。その辺の心遣いは、僕としてもありがたかった。
 そんな普段は寡黙な父親が、親子3人で夕食を食べているときに口を開いたことがあった。父親はそのことをいつ言おうか考えていたようだった。
「あのな。父さん考えたんだが、おまえ外国で働いたらどうだ?」
「1回しか言わないよ。え?」
「ほら、おまえのその口癖は日本語だろ。だから日本語のわからない人たちがいる国なら、なんとも思われないんじゃないか」
 母親は微笑んでいた。僕は今までそんな手があったなんて思いつかなかった。
「1回しか言わないよ。父さん、母さんありがとう!」
 僕はそれ以来、現実的にどこの国で働けるのかを調べ、あるルートを使ってタイでの就労ビザを取ることができた。仕事は建設会社の事務だった。僕はいちいち「1回しか言わないよ」と相変わらず言っていたが、タイの人たちはまるで意味がわからないようで気にもされなかった。たまに在タイ邦人と触れ合う機会があると、「失礼な奴だな」と言われることもあったが、そんなのは1ヵ月に1回くらいの割合で、苦情が寄せられることもない。現地採用扱いだったから給料は安かったが、僕は働ける喜びに満ちていた。両親にその旨をメールで伝えると、2人も喜んでいたようだった。
 来月、両親は初めてタイに遊びに来るという。まわりの従業員がみんな僕の口癖を覚えてしまい、「1カイシカイワナイヨ」とそれぞれが口々に話すのは両親にとっては奇妙な光景に写るかもしれないが、それもタイに来たら笑い話のようなものだ。もう二度と日本で働けることはないかもしれない。けれど、それでもいいのだ。タイでもどこでも安月給でも、楽しく働き続けられることが大事なのだ。