大企業礼拝法

 先月、大企業礼拝法案が可決されたことで国内は紛糾している。この法案を一言で言うならば、日本国内において経済は宗教であり、それらを牛耳る大企業が神様であるという理由から、毎日1日3回の礼拝を欠かさないようにしようというものだった。これにより大企業と、大企業に勤めている社員は全て神様扱いされ、大企業に勤めていない者たちは彼らのことを見ると礼拝しなくてはならない。そのため、大企業の方角を向いて行う1日3回の礼拝とは別に、大企業社員と遭遇するたびに礼拝をしなくてはならないから、1日何十回も礼拝をしなくてはいけないことになるのだ。
 こんなバカげた法案が通る日本も末期的症状ながら、それに対する市民の反応は意外にも静かだった。毎週末に公園でデモが行われていたが、いつも数百人規模しか集まらず、海外メディアからは日本人は大丈夫か?と心配された。かくいう私も、自分が勤める企業は中小企業のため、この先ずっと大企業社員を見かけるたびにお祈りを捧げるハメになるわけだが、それくらい別にいいじゃないか、みんなで受け入れれば我慢できるじゃないかと思い始めていた。
 そもそも自分はデモとかをする人間を見ると心底許せなくなる。決まった事柄にNOと言って蒸し返そうというその神経が信じられない。私の美学としては、決められた事柄に対しては何も文句を言わず、黙々と日々の業務を続けること。これ以外に何がある? 駄々っ子のように駄々をこねる大人たちを見ると、いい加減にしろ! お前らは子供か!?と怒鳴りたくなるのだ。
 実は、部下の一人に、こういった駄々っ子のような大人がいる。奴の名前は橋本と言い、昼飯の話題はいつもこの法案について話してばかり。一緒に昼飯を食べに行く人間の身にもなってみろ! そういった嫌なことからは目をそらして、他のことを考えたほうがいいんじゃないか? と怒鳴りたくなる。しかも橋本はもう何回かデモに行ったというほどの救いようもないバカだ。だいいち、デモに行ったところで何が変わるというんだ? そんな暇があれば仕事しろ! 仕事! 橋本は先週の会議でもヘマをやらかした。資料のエクセルのデータを一行打ち間違えていたのだ。私は「デモなんかに行っているからだ。タコ!」と怒鳴ったが、橋本には全然応えていない様子で、「すんません」などと言って笑っていた。
 私は橋本のような人間が本当に心の底から許せない。かりにも上司である私の言葉に対して笑って返事をするなんて。社会の常識というものをわかっているのだろうか? 私は憎き橋本の評判を落とすために、部長に橋本がいかに使えないかを毎日話しているので、クビになるのも時間の問題だと思う。あんな社会人失格な奴が、会社をクビになって生きていけるとはとても思えないが、自業自得である。決められたことに従わないバカは路頭に迷えばいいのだ。