がっつく時間

「おい澤田! おまえ今、自分はいいやって表情してただろ。先生はちゃんとそういう細かいところもちゃんと見てるぞ。次やったらおまえ、単位落とすからな」
 また怒られた。僕はこの時間が心底苦手である。「がっつく時間」。誰がネーミングしたのかしらないが、僕が小学校に入学する何年か前から実施されるようになったそうだ。
 がっつくを辞書で引いてみると、「飢える。欲張る。貪欲。意地汚い。さもしい」などとの言葉が並ぶ。どれも僕の苦手なことばかりだ。というか、今の子供でこういった言葉が当てはまる子供なんていないだろう?  
 この授業が導入されるようになった背景は、日本の国際競争力が低下し、その責任の矛先がすべて子供に向いたことにあった。マスコミたちは満たされた環境に置かれた子供たちにはハングリー精神が足らないと騒ぎたて、ついには文科省が教育要綱のカリキュラムに「あらゆる物事にがっつく子供たちを育てる」という項目を加えた。その翌年からこの「がっつく時間」が週1コマの授業となったわけだ。
 このがっつく時間では、先生がお金だとか、恋愛だとか、グルメだとか、権力だとか、そういった過去の時代には魅力的に映ったものの映像を見せて解説をする。このときに、興味がなさそうな顔をしたら厳重注意が下る。この授業はがっつき力を伸ばすためのものであり、演技でもいいからがっついている風を装わないといけないのだ。
 だからこの時間には、普段は無気力な顔をしている生徒たちが、とりあえず怒られるのはイヤだからという理由で、「お金ほしいー!」とか「うまいもの食いてえー!」とか「美人(orイケメン)と付き合いてえー!」とか言う。それを見て先生はよしよしと満足気な顔をする。僕らが本心で思っていないことを知ってか知らないでかわからないが。
 僕はそんな風に思ってもいないことで騒ぎたてるのは嫌いだ。周りの友達たちが別人のように豹変するのを見るのも嫌だ。だから早く終わらないかなと上の空になることも多く、その瞬間を先生に見つかってしまう。ああ早く終わらないかな。
 早く大人たちは気づいてくれないのだろうか。こんな見せ掛けだけのがっつきを勉強したって、僕らが将来大人になってがっつくことは絶対にないのに。もうそんな時代じゃないというのに。