愛がつぶれた日

 にょぐもしゅー!
 それが三平の聞いた、愛のつぶれた音だった。それまで三平くん大好き大好きと言っていた美恵は途端に三平に興味をなくしたような顔になり、「今日は帰るね。もしかしたらもう二度と来ないかも」と言って荷物をまとめて部屋から出ていった。この間、時間にして20秒。何が起こったのかわからなかった三平は美恵を追いかけることもできず、薄暗い部屋の中に立ち尽くしていた。
 しばらくして頭が冷静になり、三平は部屋にボイスレコーダーを取り付けていたことを思い出した。なぜそんなものを取り付けていたかと言うと、美恵との愛の会話を録音して後で楽しもうと思っていたからだ。三平の思惑は見事に外れ、愛の会話どころか、愛の消滅である。三平が苦笑しながらレコーダーを再生すると、そこには「にょぐもしゅー!」という、三平が確かに先ほどこの耳で聞いた奇妙な音が録音されていた。
 このときはまだ、愛のつぶれた音だと気づいていなかった三平は、友人で音質学者の前田光蔵に電話をし、電話越しに問題の音を聞いてもらった。普段ぼんやりとしている光蔵がその音に食いつき、計20回ほどリピートさせられた。
「この音なんだか知ってるか。愛のつぶれた音だ」光蔵の言うことに三平は納得した。それまで好き好き言っていた美恵が一瞬にして別人のようになってしまった理由がこれでわかった。
「愛って言うのは、終わるのは一瞬なんだね」
 三平の言葉に光蔵が笑う。
「ああ。一瞬だとも。特に女性はな。たいした理由もなく、一瞬の感情の変化により愛が終わってしまうんだ。それよりも三平、この音はノーベル賞ものの発見だし、とんでもない大金が転がりこんでくるぞ。愛がつぶれる瞬間は確かに存在すると言われているが、誰もそれを証明できたものはいない。ましてや、愛がつぶれる音を録音したなんて世界が知ったらぶったまげるはずだ。悪いことは言わない。その女のことは忘れて、今すぐそのテープをこっちへよこせ。な? な?」
 三平は光蔵の申し出を断った。今はまだ美恵のことが忘れられないからだ。男とは弱い生き物であると、三平は思う。この愛のつぶれた音を何度も再生して、美恵のことを思い出すとしよう。金持ちになるのは、その後でもいいじゃないか。