ドラえもん のび太とレンタルインド人(再録)

 今日、俺の家にレンタルインド人なるものがやってきた。俺が住む板橋区では、他の区よりも区民の国際化をはかるために今年度からレンタル外国人を各家庭に派遣するシステムが採用された。
 板橋区役所が考えるところによると、日本人は外国人と触れ合う機会が圧倒的に少ないため、国際感覚が他の国に比べて劣っている。それならば、半ば無理矢理でもいいから外国人と接する機会を与えてやれば、国際感覚が身につくのではないかと考えた。
 そこで板橋区役所の職員は、板橋区をブラブラしている外国人に声をかけてスカウトし、各家庭にレンタルすることに決めた。しかしここで問題だったのが、レンタルを希望する世帯を募ったところ、1件も寄せられてこなかったため、板橋区はなんと裁判員制度のように抽選でレンタルする家庭を選んだのだ。新聞に目を通さない俺は、3月の頭に派遣決定のの電話がかかってきた時、何のことだかさっぱりわからなかったが、「もう決定事項ですので、キャンセルはできません」と恫喝するように言われて渋々と同意した。
 こうして俺の一人暮らしの家にレンタルインド人がやってきたわけだ。ピンポンベルが押されたのでドアを開けると、そこには190cmほどある大男が立っていた。玄関に黙って突っ立っている男を、俺は椅子に座らせた。俺の家は6畳しかないため、立っていられると、それだけで息が詰まってしまう。
 男の名前は3号と言った。区役所によると、レンタル外国人の素性がバレてしまうと、のちのちのトラブルにつながる可能性もあるから本名は内緒にしているとのことだった。3号はカタコトながら日本語が理解できるというので、俺は何か話しかけようと思ったが、何を話していいのかわからなかった。第一、俺は外国人というものと話したことがないのだ。
 そんな俺の戸惑いを察したのか、まず3号から話しかけてきた。
「君は、学生?」
「そうだね」
「そうか」
 ここでしばらくの沈黙が続く。
「カレー、好き?」
「好きだね」
「そうか」
 再び沈黙。どうやら3号には会話を広げる才能がないらしい。
「3号はカレー作れるの?」
 今後は俺が会話を続けようとする番だった。別に本気でカレーを作ってほしいわけではない。俺の家の台所は2年ほど使っていないので、誰にも使わせたくない。
「ノー」
 しかし、その目論見はあっけなく崩れ落ちる。俺は3号のスパイスのような体臭に耐えられなくなり、のり塩のポテトチップスを開けた。すると3号も断りもせずに、チップスをつまみ始める。部屋にのり塩の匂いとインドのスパイスの匂いが充満する。
 一体どうすればいいのだろうか。俺は考える。このままこのインド人は夜まで居座るつもりだろうか。区役所の規定によると、レンタル外国人の有効時間は最低12時間で、もしも気が合えば延長は自由とのことだった。最低12時間ということは今から深夜の3時までは一緒にいなくてはいけなくなる。そんな時間までずっとこんな緊張感が続くと思うと耐えられるわけがないではないか。
 我慢できなくなった俺は3号を外に誘うことにした。
「3号、外に行かないか?」
「どこへ行く? 外は寒い」
「映画を観に行こう」
 俺はもともとドラえもんの新しい映画を観に行くつもりだったので、3号を連れて行くことにした。映画を観ている間は喋る必要がないわけだから、一石二鳥だ。

 吉祥寺の映画館に入ると、3号は興奮しているように見えた。3号が言うには、インドでは映画を観るのが一番の娯楽で、家族や恋人、友達と毎週のように観に行っていたらしいが、日本の映画館は初めて入るとのことだった。
 そして映画が始まった。ドラえもんの新作映画『のび太の人魚大海戦』は予想以上に素晴らしかった。ここ何年かリメイクが続いていたので、どうなることかと思ったら、設定や脚本が素晴らしく、お約束の泣けるシーンも随所に盛り込まれていた。そして何よりも、ソフィアさんというヒロインのキャラクターが輝いていて、俺はすぐに夢中になった。これは会う人全員にすすめるべき快作だと痛感し、何度も心の中でガッツポーズをした。
 それは3号も同じ気持ちだったようで、俺たちは映画を観終わった後、しばらく動けなかった。3号の横顔を見ると、涙が何筋も頬をつたっていたのがわかった。
 それまで映画を観るまではよそよそしい空気だった俺と3号の間には、のび太たちに負けないような友情のようなものすら芽生えていた。きっとドラえもんのメッセージを体中に強烈に浴びたせいなのだろう。俺と3号はその後、居酒屋で酒を飲み、2人ともグデングデンに酔っ払って家に帰った。次の日は俺が3号のことをたたき起こして、東京大仏に連れて行き、2人で大笑いしながら近くのバッティングセンターで打球をかっ飛ばした。