ビートルズ宇宙人説(再録)

 タカシが会社から帰ると、3歳の息子のソラが今日もビートルズの『Across The Universe』を一心不乱に聴いていた。
 タカシは心配になり、妻のサヨコに聞く。「また聴いてるの?」
「朝から晩まで、ずーっとね。もう何百回、何千回と聴いてるわ。こっちが話しかけても、うんともすんとも言わないのよ」サヨコもここ数日のソラの行動に疲れているようだ。
「今日ニュースでもやってたぞ。世界中の3歳児が『Across The Universe』を何かに憑依されたかのように聴きまくっているって」
「もう、どうなってるのかしら。こんなお経みたいな曲のどこがいいのよ」サヨコがため息をつく。


 あれは3日前のことだ。ソラが突然タカシのCD棚を覗き、ごそごそとビートルズのCDを漁りはじめた。タカシとサヨコが興味深そうに見つめていると、ソラはアルバム『Let It Be』を取り出し、いじったこともないはずのCDプレイヤーにセットして、『Across The Universe』を流した。
 タカシとサヨコは呆気にとられてソラの行動を見ていたが、おそらくタカシがいつもCDをかけるのを見ていて、それを真似したのだろうと言うことで落ち着いた。
「最初に聴きたい音楽がビートルズだなんて、あなたに似たのね」
 EXILE青山テルマにしか興味がないサヨコは、そう言って笑った。
 しかし、それからのソラの行動は明らかに異常だった。寝ていない時間はわき目もふらずに、同じ曲を再生している。食卓に食べ物を置いても興味を示さないので、サヨコが無理矢理食べさせた。
 事件が起こったのはタカシの家だけではなかった。会社の同僚は、ビートルズのCDを3歳の息子がどこからか手に入れてきたと驚いていたし、ニュースを見ると世界中の3歳児が同じ行動をとっていると言う。
 もはや“ビートルズは3歳児の心をもとらえて素晴らしい”と言った楽観的な見解も聞こえなくなっていた。いまや地球温暖化以上に、大人たちを悩ませる事象となっていた。


 そんな謎がついに明かされる時がやってきた。
 その日の夜中、タカシが目を覚ますと、ソラが窓の外を見ていた。その姿は我が子ながら不気味だった。まるで3歳児とは見えないような、堂々とした佇まいで、確信を持ってある目的に向かって突き進んでいるようだった。CDプレイヤーからはまたも『Across The Universe』が流れている。
 窓の外を見ると、夜空が猛スピードで動いていた。まるで全速力で地球がどこかに向かっているようだった。
 タカシがサヨコを起こそうかと迷っていると、ソラが振り返り、言った。
「目を覚ましましたか」
 それはソラの声ではなく、どこかの経済評論家のような明晰な声だった。ソラは自信に満ちた調子で語り続ける。
「驚いたのも無理はありません。我々が帰る時がやってきたのです」
「何を言っているんだ、ソラ?」
「説明しましょう。地球とは、500万光年離れたマバルホ星の人々が46億年前に作ったものです。マバルホ星人は、生命が育ちやすい太陽系に地球を置き、生命を育んできました。しかし、人間が生まれ、文明も現れ、そろそろ機は熟したと思っていた矢先に、人間たちは戦争を覚え始め、生命の存続に危険信号が点りました。そこで、マバルホ星たちが地球の救世主として送りこんだのがビートルズです。つまり、あなたたちが喜んで聴いていたビートルズは宇宙人だったなのです。あ、ご安心ください。私は地球人です。タカシさんとサヨコさんの子です。ビートルズは、地球を平和にするために名曲を生み出しました。人々はビートルズのメロディに酔い、平和を愛し、戦争を憎んだ。ビートルズの役目は終わりました。そのミッション終了の合図となったのが『Across The Universe』だったのです。この曲を作ったジョン・レノンは地球での任務が終わったため、マバルホ星人の手によって、いったん命を回収しました。今、ジョンはマバルホ星に暮らしています」
ジョン・レノンが地球を去ったのは1980年だろ。じゃあ、なぜ今なんだ?」タカシは寝ぼけた頭を整理しながら聞く。サヨコがいつのまにか起きて、タカシとソラのやりとりを聞いていた。
「マバルホ星人はもう少し様子を見たいと思いました。30年待って、平和がどのくらい浸透したのか確認しようとしたのです。その後は小さな戦争は起こりましたが、全体的な流れは明らかに平和に近づいているようでした。それで、もう一度『Across The Universe』を地球上で鳴らし、マバルホ星に帰すことにしたのです」
「ちょっと待て。『Across The Universe』を鳴らすと、何が起こるんだ」
「ジャイグルデバオムというのはマバルホ星人との交信の呪文です。3歳児の子供たちに何度も聴かせることによって、彼らは私たちに惑星の操縦法を教えてくれた」
「そもそも、なぜ3歳児なんだ。大人でもいいじゃないか」
「惑星を動かすのは子供にしかできません。子供は大人になるにつれて成長していくと思われていますが、実際には退化していく一方なのです。ただ、1歳児や2歳児では自我が目覚めてなさすぎる。3歳児というのが、もっとも気力、体力ともに充実しているのですよ」
「じゃあ、今この地球はおまえが操縦してるんだな」
「そうです。正確には僕ら。世界中の3歳児ですが」
「なるほど」タカシは深く息をついた。「ようやく理解できた」
「私も」サヨコも理解したようだ。
「地球の運命はおまえたちにかかってるわけだ」タカシがソラの肩を揉みながら確認する。
「はい。頑張りますよ」
「俺たちに何ができる? なんかうまいもの食べたくないか」
「じゃあ、ハンバーグを」
「わかったわ。ハンバーグね」サヨコが急いで台所に走る。
「もう、親とか子とかこの際、関係ないよな」ソラの肩を揉むタカシの手にも力が入る。
「実際、関係ないと思いますね。年齢なんてものは、地球でしか通用しない概念ですから。一緒に力を合わせていきましょう」
「ソラさん、よろしくお願いします」タカシは冗談っぽく頭を上げた。
「そんな、かしこまらなくていいですよ。いつものようにソラでいいです」ソラが笑う。サヨコの笑い声も聞こえる。
「じゃあ、ソラ。よろしく」
「任せて下さい。お父さん、お母さん。ちょっと加速しますからね」
 ソラがそう言い、星空がさらに速いスピードで流れだした。タカシは『Across The Universe』のサビのボリュームを上げる。ジャイグルデバオム。