サビから始まるスローライフ

 ミュージシャンから文科省の官僚になったという異色の経歴の持ち主・湯月信吾がまたおかしなことを言い出した。湯月は現在の日本は急ぎすぎていると言い、そのためにはスローライフの導入が不可欠だと言った。国民からは、ゆとり教育が失敗しているじゃないか!という批判が寄せられたが、湯月はもっといい方法を思いついたからと言って持論を曲げようとはしなかった。
 湯月はある日、重大発表会見を行うと言って、テレビや新聞社などのマスコミを呼んだ。その模様はテレビで生中継されており、将来に展望が見えない若者や、閉塞感溢れる日本社会の中で身動きができない中年男性たちが固唾を呑んで見守った。
 湯月の第一声はこうだった。「日本のスピードが速いのは、すべて歌のサビの回数が原因です」と。湯月が言うには、音楽というのは人々の生活のリズムを作っているものである。人はそれを意識していないが、これだけは絶対に間違いない。そもそも3、4分の短い間の中に1曲を詰め込もうとしようとする試みが間違っている。せいぜいこの中には、サビが登場しても1、2回。これだと曲の良さを味わうこともできない。そのため、3、4分の曲を禁止して、もっともっと長い曲がヒットチャートに上れば、人々はその曲を最初から最後まで聴くために有給休暇をとるかもしれない。など。
 人々ははじめ半信半疑で、こいつは何を言っているんだ?状態だったが、湯月はすぐさま法律を改正してきた。サビが30回以上出てこない楽曲は全て違法だと言うのだ。この法改正を受けて、レコード会社はあわてて長尺の曲ばかりをリリースしてきた。ヒットチャートに上る曲はどれも240分とか、780分とか、昔の常識から考えると恐ろしいほど長い曲ばかりで、どれもサビが100回くらい登場した。しかし、慣れというのは恐ろしいもので、人々は気に入った曲があると、友人との誘いを断り、インターネットやゲームや携帯やテレビをオフにし、1曲を最初から最後まで聴くことに集中するようになった。これにより、新宿駅を歩いている人の群れも、5年前には人々の歩く平均速度は時速3キロだったのだが、これが時速0.8キロまで低下した。駆け込み乗車もなくなり、スピード違反をする車もなくなった。
 この政策で国民の支持を上げた湯月は総理大臣になった。湯月は自分の成功に味をしめ、さらに厳しい法改正を発表した。それまでサビが30回以上出てこない曲が違法だったものが、2万回以内の曲が違法だとしたのだ。もちろん国民からの戸惑いの声はあがったが、順応するのが早い日本人はすぐにこれを受け入れた。今週のヒットチャートの1位にランクインされている嵐の『ロングロングロングロングロングワインディングロード』は552時間(23日間)という驚異的な長さの楽曲だが、すでに27万枚を売り上げた。サビは8500万回も登場するが全て歌詞は違うというのだから驚きだ。この曲をレコーディングするに当たって、嵐のメンバーは交代で睡眠と食事をとりながら歌ったらしい。
 現在は他の先進国も、日本の試みが正しかったとして、後に続けとばかりに長尺の曲を次々とリリースし始めている。サビを増やせば、人々の暮らしの速度が下がる。人間なんてこんなに単純なものなのだ。湯月は次のノーベル平和賞の候補にも上がっている。