日本を変えた小さなツボ

 そのツボが発見されたのは一説によると、2012年の3月頃であると言われている。発見された場所は定かではない。ほぼ時期を同じくして、日本の至るところで小学生たちの間で同時発生的に大流行した遊びがあったのだ。
 小学生たちは、後頭部にある髪の生え際にある、後頭部中央のへこみと、耳のうしろにある骨の“でっぱり”をむすんだラインの中間あたりに位置しているツボ「風池」の2ミリほど内側にある場所を押して遊ぶことを楽しんだ。この場所を押すと、途端に勉強をする気がなくなり、人間関係に悩むこともなくなり、要するに楽な気分になれる。そして何よりも、次々と斬新なアイデアが溢れてくるようになるのだ。
 この場所を押す遊びは、やがて小学生から中学生、高校生から大学生へと流行が伝播していき、大人たちの間でも大流行した。目の前のあれこれに縛られて出口が見えなくなり、しかも全く解決策がないという閉塞感に風穴を開けるような気分になるのだった。
 このツボはある有名コラムニストが「遊穴(ゆうけつ)」と名付けた。まさに読んで字のごとく、閉塞感に風穴を開け、心に遊びの部分を作り出すようなツボだった。面白かったのは、このツボがなぜか日本人にしか通用しないことだった。インターネット経由で日本での大流行が世界中に伝えられ、各国の迷える子羊たちがマネをしてこのツボを押したのだが、まったくその効果は見られなかった。科学者がいうには、日本人が持っているある特殊な回路にしか作用しないのだろうと言うことだった。
 日本人がここのツボを押すと、会議だとか事務資料だとか礼儀作法だとか、そういったものが至極どうでもいいことに思えてきて、新しく湧き上がる発想をとにかくトライしてみたくなる。失敗してもいいから、とにかくトライ。試して、試して、さらにアドレナリンが分泌する。これはそれまでの間、多くの日本人が最も苦手としてきた行動だった。
 国民たちがこぞって新しいことを始めようとするから、政府は最初大慌てをして、このツボを押すことを禁止しようとした。その頃すでに日本の組織という組織は崩壊しかけて、以前のようなきちんとした官僚国家に戻れなそうな雰囲気だったのだ。しかし政府がこのツボを押すことを禁止する法案を通そうとしてモタモタしている頃、突然日本の経済状況が好転し、自殺率まで減少しだした。政府はその状況を見て方向転換し、どんどん遊穴を押すように働きかけ、ラジオ体操に乗せて遊穴をひたすら押す、「遊穴体操」なるものを学校や企業などに導入した。
 老人たちは今まで築き上げてきた、きちんとした日本が崩れていくことを最初は嘆いていたが、自分たちが楽しく生きられるということを知ってからはどんどん遊穴を押すことを受け入れていった。
 2015年現在の日本は世界がもっとも羨む国家となっている。何よりも適当なのだ。適当と言ってもラテン系国家のそれとは少し違う。少しヤケクソになった適当とでも言おうか、真面目に勉強に打ち込んできた青年が大学に入って遊びに目覚めてしまったかのような。それまでいろんなものを詰め込んできた脳に穴を開けたのだから、溢れ出てくるものに勢いがあるのは当然だった。つまりは日本人が今まで苦しみながら積み重ねてきたことが、一気に楽しい方向へとシフトチェンジしたということだ。これは先人たちの軌跡に感謝しなくてならない。ただもう我々は、この力を楽しい方向に使えるとわかった以上は、責任をもって適当で楽しいことをやり続けなくてはならない。時代は日本人のターンなのだ。このツボが発見されたのは時代の必然なのだ。