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 僕はいつもネタ帳を持ち歩き、仕事中でも、友達と酒を飲んでいる最中でも、思いついたネタがあったらメモをしてきた。その日のブログに書くためだ。「おまえ、またブログのネタかよ」と言われ、「すごいの思いついちゃったんだよ」と答える。そんな会話は何百回としてきた。
 僕は昔から表現欲が強く、人に自作の小説やエッセイを読ませるのが好きだった。好きな女の子ができるとついつい長文の手紙やメールを書いてしまい、相手から返事が返ってこないことが多々あった。
 そんな僕にぴったりのツールが見つかった。それがブログだ。今でこそツイッターなどという便利が出てきたが、このブログを始めた5年前にはそんなものはなく、ブログを書いてネットにアップすることだけが僕の生き甲斐となった。はっきり言ってこの5年間、プライベートで何をしていたかを思い出すことができないほど、特別なことは何もなかった。仕事も以前と変わらず、友人関係も学生時代と変わらず、恋人が出来る気配もない。変わり映えのない、進歩のない5年間。ただ、ブログを更新しさえすれば生きていけたのだ。
 そのまま僕は一生、おじいちゃんになってもブログを更新し続けていけば他に何もいらないと思っていた。あることに気付くまでは。
 僕は恥ずかしいことに、このブログにアクセスカウンターなるものがついているのを知らなかった。今考えると、なんておめでたい奴だろうとあきれるしかないのだが、そもそも僕はコンピュータに疎いのだ。ブログを書いてアップする。その作業だけで、このアナログ人間な僕には精一杯だったのだ。
 僕はいつも、会心の出来のブログを書いたときには、世の中にも同じようなことを考えている人が何万人もいて、彼らが驚き、共感し、絶賛している姿が目に浮かんでいた。コメント欄にコメントが書かれることは一度もなかったが、人はあまりに驚いた記事に対しては沈黙するしかないのだと思っていた。つまり、コメントが1件もないことイコール、何万人が同意していることなのだろうと。
 頭の中の計算では、1日僕のブログに訪問する人の人数は3万人だった。つまり1年で約1000万人。5年で5000万人。このまま続ければ、トータルの訪問者数が1億人になる日も近いのだろうと思っていた。
 物事には知らなくてもいいことがある。いま時間を巻き戻せるならば、あの日の僕に言ってやりたい。あの日の僕は、いろいろと更新するのに手こずり、いつもとは違うボタンをクリックし、妙な管理画面を開いてしまった。そこには「アクセス数」という魅力的な文言がキラキラと僕の目の中に飛び込んできた。
 僕はおそるおそるそのボタンをクリックすることにした。どんな数字が出てくるだろうか。心臓の鼓動が高鳴った。5000万人か? それともやや多く見積もって6000万人かもしれない。いやいや、世の中は自分の思い通りにはいかないものだから、もしかしたら3500万人ということもあるかもしれない。
 すると、パソコンの画面に出てきた数字は、「2305」という数字だった。僕はきっと「万人」を省略して書いているに違いない。つまり2305万人という、自分の予想よりずいぶん少ない数字だったのだと思い込もうとした。しかし、どこをどう見ても、それが「万人」を省略したという証拠を見つけることができなかった。
 僕はいったん画面を閉じ、そして寝た。起きてから改めて画面を見たが、その数字は変わらなかった。少しだけ冷静になった頭で計算する。自分は5年間毎日このブログを開いてきたわけだから、1日1アクセスとしても、その数だけで約1800。つまりは、自分以外にこのブログをアクセスしている人は5年間で500人しかいなかったというわけだ。500人を5年間で割ると、約0.3。これはあまりに衝撃的な数字で、認めるのが本当につらかったのだが、3日に1アクセスしかなかったことになる。
 この事実を知った途端、いつも自分のブログにアクセスしているだろうと想像していた可愛い女の子や、ダンディな風貌の大学教授たちは全ていなくなった。ある日、本屋で立ち読みしている最中に、「もしかして『世界一いろんなことを考えている俺様のブログ』を書いている人ですか?」と握手やサインを求められるという、これまで何度も思い描いてきたシチュエーションが叶うこともないだろう。
 僕は辛い現実を受け止め、この筆を置くことにしよう。最後の記事のタイトルは「このブログを見ている人はいません」だ。これから自分がどう生きていけばいいのか、正直言ってわからない。ただ、誰も見ていなかったにしても、このブログを頑張って5年間毎日書き続けてきたことだけは褒めてあげたいし、そんな自分を誇りに思う。自分には実力があるのはわかりきっている。ほんの少し運が足りなかっただけだ。自分の心が落ち着いたら、また前とは少し違うテーマで新しいブログを書いて、世の中を驚かせてやろう。