ニスゴ語に一生を捧げた男

 ニスゴ語の本を翻訳していると、彼らは不思議なことを考えているものだと思います。たとえば、彼らはよく「鼻が浮かぶ」という言い方をします。ニスゴ語で言うと、「オジュ・ムハッ・クマハ」で、「すごく喜ぶ」という意味です。日本人はこういう言い方をしないので新鮮でしょう? あまりに長い間ニスゴ語に漬かっていると、たまに「今日はお会いできて、鼻が浮かびます」とか言ってしまいそうになるのが怖いですね(笑)。
 じゃあ、ここで問題。ニスゴ語をあまり知らない人に、挨拶をしたいと思います。
「ユッゴー。ラクラブンバ? キキギュ・ラキッ・ラクラブンバ。キキギュ・モグ・スーランバ。キキギュ・モグ・ジャカップタ。キジュ・グモパ・ラキッ・コルリン」
 どうかな? なんとなくわかるかな? わかった人はすごいと思うよ。
 今言ったことの意味を説明しましょう。
「こんにちは。元気? 私は元気です。私は携帯電話が好きです。私は山芋が好きです。私の年齢は63歳です」
 まあ、私の簡単な自己紹介ですね(笑)。これを読んで、わかりやすい言葉じゃないか!と思った人は、ぜひ私が運営するニスゴ語教室に来ていただきたいと思います。教室にはもう6年もの間、生徒がいません……。ニスゴと日本はあまり交流がないから、ニスゴ語を習おうと言っても、相当珍しいもの好きな人じゃないと来てくれないのはわかっているのですが。
 私はこうやって空いた時間にニスゴ語の翻訳をしている傍ら、ニスゴ語の教室をやっていますが、この両者はほとんど金になりません。ニスゴではタツノオトシゴがたくさん収穫されており、年に2回ほどニスゴの漁業大臣が来日するので、その際に通訳をさせてもらいます。それがほんの少しの小遣い稼ぎになるくらいです。あとは、ほとんど自分の家の庭で育てた山芋を売るか、大好きな携帯電話をいじっていますね。63歳になって今さら他のことをやろうとしても無理だし、せっかく20代の頃に高い金を出してニスゴに留学していたのだから、人生をニスゴ語に費やしてもいいと思っています。ただ、ひとつだけこれを読んでいる若者たちに知っておいてほしいのは、そんなマイナーな言語であるニスゴ語に一生を捧げている日本人がここにいるということ。そうやって心に留めておいてもらうだけで、私が63年もの間、結婚も就職もせずにニスゴ語を勉強し続けてきた甲斐があると思うのです。