ももクロ小説『ももいろクローバーZ 奇跡の軌跡』

 その昔、ももいろクローバーZの面々が「将来はSMAPさんや嵐さんのようになりたい」と言っていたことが嘘のようだ。今ではその2つのグループが足元にも及ばないような存在になってしまったのだから。
 時計の針をまずは2012年に戻そう。ももクロがその年にリリースしたシングルは全て1位を記録。念願の紅白歌合戦出場も果たした。その年のリリースを羅列すると、『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』でスラッシュメタルを取り入れたかと思えば、次なるシングルでは、アフリカ音楽を代表する大御所アーティストのユッスー・ンドゥールコンゴの轟音人力トランスバンドのコノノNo.1と共作した曲『ももンバ!』で、彼女たちはアフリカチックな民族衣装を着て踊り狂った(この曲のヒットがのちにアフリカでのブレイクへとつながることになる)。そして続いて出されたシングル『More More Color』は彼女たちに惚れ込んだカニエ・ウエストが「次のキング・オブ・ポップは俺じゃなくて、Momoiro Clover Zさ」と自らプロデュースを志願し、日米同時発売。エレクトロ・ヒップホップと日本のアイドルポップが融合した、それまで誰も聴いたことにないようなポップチューンを作り上げ、歌詞に日本語が含まれているにもかかわらずアメリカでも大ヒットを記録。日本では「いまアメリカで一番有名なアイドル」として連日報道された。
 こうなると日本のマーケットも黙ってはいない。その年の秋にリリースされた30曲入りの2枚組アルバム『笑う喧嘩少女』の収録曲は前山田健一NARASAKI,ツキダタダシといったこれまでのももクロ楽曲を支えてきた面々をはじめ、デヴィッド・バーン、キング・アドロック(ビースティ・ボーイズ)、VERBAL、スチャダラパーサイプレス上野とロベルト吉野SEEDADE DE MOUSE、やけのはら、テディ・ライリー、リンドストローム、SBTRKT、ディプロ、the telephones、ミッキー・ムーンライト、マキシマム ザ ホルモンユ・ヨンジン椎名林檎石野卓球井上陽水草野マサムネ阿部義晴、口口口、やくしまるえつこ細野晴臣高城剛という攻めの作家陣を集めながらも全曲タイアップ付きだったし、CMや歌番組への露出も増え、彼女たちの姿をテレビで観ない日はないほどだった。ただ、あまりに音楽的にラジカルなことに挑んでいたため、ふだん音楽を聴かないような層の人々がまだ戸惑っていたのも事実だ。「イロモノだ」とか「奇をてらいすぎ」といった批判も絶えることはなかった。
 そんな風に、ももクロを眉をひそめながら引いて見ている人たちの態度が徐々に軟化していったのは、彼女たちが歌やダンスだけではなくトークや演技もできることに気づいたからである。大河ドラマや月9ドラマへの出演をはじめ、並みいるお笑い芸人たちと渡り合うバラエティ番組も次々とこなした。コントを含む帯番組も作られ、コント限定ライブも行われたほどだ。このとき、人々はよく「ももクロって次世代のSMAPか嵐だよね」と言った文脈の会話を口にするようになった。
 しかし、ももクロにとって本当の快進撃が始まったのはここからである。もともと彼女たちの人気はアジアでは高かったが、そこからアメリカ、そしてヨーロッパへと、まるでパンデミックのようにMomocloブームは広まっていった。さらにアフリカ諸国では、前述のシングルが爆発的ヒットを記録し、現地アーティストが同曲をこぞってカバーしたことで、ももクロの名を知らないものはいないほどの知名度を集めた。佐々木彩夏をデザインしたバービー人形“A-rin(あーりん)”モデルは世界で7200万体を売り上げ、人形が喋る「A-rin Dayo(あーりんだよー)」は世界中の子供たちの流行語となった。
 続く2013年はそんなももクロが真のワールドツアーに明け暮れた年として記憶している人も多いだろう。日本人アーティストが海外ツアーを行ったと言うと、客は全て日本からのツアー客だったり、小さなライブハウスだったりすることが多いが、ももクロの場合は先進国では全公演がアリーナクラスだったから恐れ入る。さらには大きな会場のないような途上国では野外ライブを開催、入場無料にして現地の人々たちを踊らせ、涙させた。ちなみにこの年のツアーは83ヶ国を回り、2位のU2(228億円)を遥かに引き離す326億円の売り上げを記録。同年リリースされたサードアルバム『ももクロVS地球』は全世界で1位というマドンナさえもやったことのないような記録を打ち立てた。
 ここから彼女たちは語学を習得することに目覚め、おのおのが外国語をマスターするための特訓も始める。若くて柔らかい脳は新しいことを驚くべきスピードで吸収し、特に努力家で勉強家の有安杏果は9ヶ国語も話せるようになった。エジプトでライブをやることが夢だったという高城れにはエジプトライブで終始アラビア語でMCをし、その後『ガダラの豚』を読んでハマったという理由で、スワヒリ語で呪術の勉強をした。
 こうなると、世界のメディアも黙っておらず、現地のドラマやバラエティ番組に使いたいというオファーも殺到。ただ彼女たちの体もひとつしかないため、各国のスタッフたちが日本まで撮影に来るというほどの力の入れようだった。これによりこれまで国交が薄かった国との関係も良好になり、政治家が束になってもかなわないのは明らかだった。外務省がももクロを親善大使として一生懸命日本をアピールしようともしたが、その必要もなかった。もはや彼女たちは若干10代後半にして、親善大使などという小さな言葉では括れないほどの影響力を持つ存在になったのだ。
 ここまでの存在となっても、彼女たちが誰一人天狗になることなく、変わることなく、無邪気さを失わなかったことが何よりも素晴らしいと言えるだろう。
 さらに普通なら、ここで頂点を極めたことにより、スタッフや本人たちも一息ついて守りに入るところだが、その攻めの姿勢はデビュー時と同じく一貫してぶれなかった。なんと彼女たちは次なる目標として「宇宙に進出する」という仰天のプランを発表したのだ。
 これにはさすがに反発も多かった。「我々地球人のためだけにいい音楽を届けてくれればいいのに、なぜまた宇宙なのか」「支離滅裂だ。意味がわからない」など。しかし、彼女たちはさらなる挑戦を選んだのだ。
 こうして2015年からNASAの訓練のもと、彼女たちは宇宙飛行士の特訓を受け始める。もともとNASAの人間はももクロのファンが多かったが、彼女たちと一緒に働けるということで、この年の応募者数は世界中から前年の2000倍もの人数に跳ね上がったという。
 もちろん宇宙飛行士の訓練を受けながらも楽曲をリリースすることも忘れてはいなかった。史上初となる無重力ライブも全世界に配信中継したし、NASAのチームが解析した宇宙語による楽曲もリリースした。これは地球人には誰も意味がわからなかったが、その独特な発音が耳に気持ちがいいとしてももクロ史上最高の売り上げを記録した。
 ももクロの5人は語学と同じように、宇宙飛行士の訓練を驚くべきスピードで習得していき、エリート宇宙飛行士のアンソニー・サリバンが「あんなに飲み込みの早い人間は見たことがない。毎日歌を歌いながら、アバンギャルドなダンスを踊りながら、僕たちでもなかなかこなせないようなミッションを次々とこなしているよ。彼女たちこそ天才だね。しかもそれでいて笑顔を失わないのが素晴らしい。僕らはみんな彼女たちのおかげで毎日がハッピーだよ」と絶賛した。
 そして2016年となった今年の3月、ついにももクロの5人はスタッフたちとともに、宇宙へと飛び立った。宇宙船が打ち上げられるときは、マーティ・フリードマンwithメガデスの生演奏で『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』が爆音で奏でられ、世界中の人々がその様子を固唾を呑んで見守った。彼女たちは笑顔で空に飛び立ち、まずは火星へと向かっている。こうやって書くと、ものすごく壮大なスケールの偉業にも聞こえるが、毎日USTREAMで世界中に生中継される宇宙船の中の様子は驚くほどのんびりしている。それはまるであの4年間ゴールデンタイムで視聴率トップを走り続けている怪物長寿番組『ももクロChan』のように。昨日は玉井詩織が、お気に入りの宇宙食百田夏菜子が食べたということで文句を言い続け、それを夏菜子がウヒョ顔でヘラヘラとはぐらかしている画がえんえんと放送され、人々はそれを見てホッとし、「今日も俺たちも頑張ろう」と前向きな気持ちにさせられた。

ソシローはメジャーで通用するのか?

「ほら、ソシローさんよ」
「本当だ! いやだ! かっこいい!」
 社内のOLたちからの黄色い歓声を背中に浴びながら、八橋一朗は会議室へと向かった。今日も若造が立ち上げようと画策している新規プロジェクトを“阻止”するためだ。
 八橋がなぜ“ソシロー”と呼ばれるようになったかというと、あのイチローと同じ名前であったことはもちろん、とにかく社内で浮かび上がる新しいアイデアや案件を阻止するということに対する天賦の才能に恵まれていたからだ。
 入社1年目はまだ目立たず、八橋と呼ばれながら普通に新入社員らしき仕事をこなしていた。当時の上司はその才能に気づかず、誰にでもできる退屈な事務仕事を与えて八橋を飼い殺しにしていた。しかし、2年目になったときに上司がそれまでの上村雅彦から永田新次郎に変わり、八橋に転機が訪れる。ある会議で八橋が「このプロジェクト、やめたほうがいいですよ。不確定要素が多すぎます」と言ったのを永田は聞き逃さなかった。永田は八橋の才能を見抜き、新規プロジェクトを立ち上げようとする会議があると、必ず八橋を同行させた。八橋はその独自の選球眼でプロジェクトの粗を次々と見抜き、片っ端から新しいことを立ち上げようとする者たちを葬り去ってきた。
 入社3年目には同企業初となる年間200案件を阻止することに成功し、阻止率の首位打者に輝いた。この頃から周囲の者たちが畏怖と尊敬を込めて“ソシロー”と呼び始めるようになったのである。あまりにハイアベレージなソシローの阻止ぶりを見るために、他社からも見学に訪れる者たちが殺到し、「ソシローひとりで客が呼べる」とまで言われた。
 ソシローのことを恐れて、新しいプロジェクトを立ち上げようとする者は年々減っていったが、それでもソシローは備品の注文や掃除の仕方など、変化を起こそうとする者に対しては何でも阻止を突きつけた。社内の空気は目に見えて硬直化していったが、おかげで大きなリスクを犯すことなく、この不況で他社が苦戦するなか、順調に横ばいで利益を上げている。昨年度末の社員総会では社長から7年連続となる首位打者の表彰が行われ、「キミがいるおかげで、この会社は一層安定した。我が社にとって安定こそが誇りであり財産だ。リスクや冒険を排除してこそ、日本企業の良さが出るということを忘れないでほしい」というスピーチに割れんばかりの拍手が巻き起こった。
 そしてこの日、ソシローが会議室のドアを開ける。皆が羨望の眼差しで見る。ソシローは軽やかに椅子に座り、ひと通り新規プロジェクトの説明を聞き終わると、手際よくその粗を追求していった。ソシローは目に涙を浮かべながら言う。「ご存知の通り、これが僕にとって日本最後の阻止になります」ソシローの周りの社員たちも泣いている。この華麗なる阻止ぶりをもう二度と間近で見られないと思うと、やはり寂しい思いなのだろう。
 ソシローは今期限りで同社を退職し、フリーエージェントアメリカの企業に移籍することを表明している。イチローと同じく、入社10年目でのメジャーリーグ移籍を決めたのだ。アメリカでは、新しいことを立ち上げようとする人間は周囲から応援されるという文化があるため、ソシローが行ってきた日本式の阻止が通用するかはまだわからない。彼の動きに日本の経済界全体が注目している。

リッスン味のキャンディ

 専門家たちが誰もが首をかしげた2012年の大ヒット商品。それが、「リッスン味のキャンディ」だ。このキャンディは「Listen」、つまり耳で味を聴くことができるというコピーのもと、2012年2月から売り出された。CMのキャラクターをつとめたのは、絶対音感を持っていることで有名なタレント、小柴直美。彼女が画面に向かって「シーッ」と口に指をあて、そっと目をつぶったままキャンディを一口放り込む。そのまま無言で12秒が経過し、その間に視聴者たちにどんな味がするんだろう?と想像させる内容だった。
 小柴直美という透明感あるタレントを器用したこともよかったが、なんといっても人々の心をつかんだのは、耳で味を聴くキャンディとはどのようなものか?と期待を煽ったことに尽きるだろう。このCMが初めて流れてから1週間も経たないうちに、日本全国のコンビニやスーパーでは在庫切れに。次いで通販でも売り切れとなり、ネットのオークションではたった100円のキャンディに数万円の値がつくほどだった。
 当時の喧騒をチェンジホリック社長・長野仁はこう語る。「いや、びっくりしましたよ。うちの商品が売り切れだなんて。この商品は、企画部のかぶき者として知られる一人の問題社員が立ち上げたもので、幹部社員たちは“耳で聴くキャンディなんて、わけがわからないから無理だ”として反対したのですが、僕はなんとなくい面白そうな気がして企画にゴーを出したんですよね。まあ物好きが買ってくれるといいなあとは考えていたんですが、まさかこんなにブームになるなんてね。ビジネスって本当に面白いね」
 さらに、この商品の優れていた点は、全く味のしないキャンディだったということだ。まさに言葉の通り、無味無臭。人々はおそらく人生で初めてとなる味のないキャンディを口に入れ、その味が耳から聞こえてくるのを待った。するとそれぞれの耳に違う味が聞こえてきて、ネットには大論争が巻き起こる。
「俺はモツァレラチーズの味がしたね」
「それはリッスン味が何たるかをわかっていない証拠だよ。僕は味噌田楽の味しかしなかった」
「みんな本当に味が聞こえてるの? 私はジョルジオ・モロダー的なシンセベースのブリブリした音が聞こえてきたわ」
「シンセベースってwww  味が聞こえるわけないだろう。おまえらメーカーの戦略に騙されすぎ」
「私は耳鼻咽喉科で働く、耳の専門家ですが、明らかに味が聞こえてきました。素人は口を出さないように」
 かくゆう筆者もご多分にもれず、何度かこのキャンディを味わってみたことがあるが、確かに毎回違う味が聞こえてきた。時にはももクロの5人が仲良くユニゾンしているようなワチャワチャした味、時にはエグザイルの浅黒い男性諸君が耳元でハーモニーをしているようなエロティックな味、時には森進一が何十年かけて熟成してきたしゃがれ声のような茶渋のごとき味。
 いまだかつて100円のお菓子がこのような大論争を巻き起こしたことがあったか、否だろう。この騒動はやがて教育界や政界を巻き込む騒動になり、チェンジホリック社は「聴覚と味覚を混乱させて日本人の三半規管を崩壊させ、国家転覆を狙っているのではないか」というテロ説まで流れた。PTAは子供にリッスン味のキャンディを食べさせないようにする運動を起こし、チェンジホリック社の社長は国会の証人喚問にさえ呼ばれた。
 結局、社長が逮捕されるまでには至らなかったが、国は同商品に規制をかけ始めた。18歳未満は両親の許可なしでは購入してはならないという法律だ。しかしそのお陰で、逆に若年層の購買意欲が加速し、さらに売り上げが伸びるという結果につながってしまう。現在もまだ、同商品の売り上げの増加はとどまることを知らないが、おそらくあと数年も経たないうちに違法となるのでないかと法律家は語っている。
 何よりも、我々日本人という人種は元来臆病に出来ているため、よくわからないもの、自分の感覚で受け止めきれないものに恐怖するようにできているらしい。最初は面白がって持ち上げたものの、その正体がミステリーに彩られるにつれて、ヒステリックに必死に同商品を規制しようという動きを見ていると、そうとしか思えない。
 チェンジホリック社の広報によると、同商品の企画を提出したという前述の問題社員は今は会社を辞め、剃刀で自らの腕に「4REAL」と刻み込んだままインドに失踪してしまったとか。彼が何を思ってこの商品を企画し、この騒動をどう受け止めているのか。私はジャーナリスト生命を賭けてでも、なんとしても彼を探し出して聞かなくてはならないと思う。

驚異の新技術「検索サイト」

 この講義を聴いているキミたちだけに、とっておきの新技術を教えよう。キミはこのカオスな時代の中でどう生きようか迷っているに違いない。カオスな時代において、もっとも重要な武器は何か。それは疑うこともなく、情報である。
 これからの時代は情報のスピード感というものが運命を分ける戦いとなる。図書館に行って文献を探したり、百科事典を隅から隅まで読んで知識を広げるような時代はもはや終わりを告げたのである。
 え? もったいぶるのはやめろって。そうだね。このスピーディな時代において、時間のロスは致命的だ。早いところ本題に入るとしようか。僕がここでキミたちに教えるのは、「検索サイト」の存在だ。検索サイト、そう聞くとどんなものを思い浮かべる? 探しものを探してくれるロボットのようなものか? 公民館の片隅にある閲覧スペースのようなものか? 申し訳ないが、それらのどれもが外れている。これはまだ現代人の想像力では受け止めることができないものなんだよ。
 検索サイトというのは、インターネットというパソコン内でのネットワークの中において、一瞬にしてキミの求めるものを検索してくれるサイトのこと。だから、検索サイトというんだよ。
 もう少しわかりやすく説明しようか。ここまで聞いてもチンプンカンプンな人たちは多いだろうから。まずは、塩分という言葉を検索サイトに入力してみようか。すると、塩分に関する記事や説明が何十万件とヒットする。あ、ヒットと言っても野球のヒットじゃないからな。該当するものが画面に現れるという意味だよ。
 だから塩分について知りたくて本屋や図書館に行ったり、中学校時代の理科の先生に電話をかけて質問していた諸君! 今すぐにその愚かな行為をやめたまえ。これからの時代は検索サイトで、一瞬にして塩分の秘密にアクセスすることができるのだから! あ、たびたび申し訳なかったね。ついつい僕も、熱くなるとコンピュータ用語を使いがちなのは悪い癖だ。アクセスするというのは、電車で目的地へ行くことではなく、ネットワークの中の情報にたどり着くということだよ。
 おそらく検索サイトについて公の場で語ったのは、日本では僕が初めてなんじゃないかと思う。きっとこの講義はのちのち歴史的な一事件として教科書に載ることになるだろう。そんな貴重な現場に居合わせたことに、キミたちは心震わせていいんだよ。家に帰ったら、検索サイトのことを家族に言いふらしたまえ。おそらく彼らは最初、キミのことを狼少年扱いするだろうが、あと何十年も経てば自分たちが間違えていたことに気づき、謝罪してくるに違いないだろうから!!

雑菌だらけのアイラブユー

 中学の頃から8年間想い続けてきたタカダ君から愛を告白された。私は正直、面食らった。タカダ君との間柄は、もうこのまま、一生片想いで落ち着いていくものだとばかり思っていたからだ。
 それと、私には決定的に人間として欠けているものがあった。病的なまでの潔癖症なのだ。それに気づいたのは、高校1年生の頃だった。同級生のマサミが毎朝、私の肩を「おはよう! アスカ!」と叩いてくるのに耐えられなくなり、2ヵ月も入院してしまったのだ。そのとき私はなぜ自分が倒れたのか理由がわからなかった。医者もわからなかったようで、2ヵ月毎日首をひねったのちに退院させられた。「おそらく精神的なものでしょう」とのことだった。
 私が学校に復帰すると、マサミは私めがけて「ひさしぶりー」と言って近づいてきた。私にはそれがスローモーションのように見え、再び気を失ってしまった。気を失う瞬間、私は人から触られるのが嫌なんだということに気づいた。そして学校を自主退学した。
 その後、私は近所のコンビニでバイトしながらダラダラと年をとっていった。バイトも7年目となり、店長の次の古株になったとき、大学生となったタカダ君がアルバイトで入ってきた。「おう、ヨシノ」彼の久しぶりの第一声はこれだった。心臓が口から飛び出そうになった。私は中学、高校とタカダ君と同じで、タカダ君のことを想い続けてきたからだ。高校を退学するとき、タカダ君と会えなくなるのだけは寂しいなと思った。いつかもう一度会いたいなと思っていた。それがこんな形で叶うことになるとは。
 私はバイトリーダーとしてタカダ君に色々と実務的なことを教えた。タカダ君は見かけによらず不器用で、レジの打ち方もままならかった。私はそんなタカダ君を可愛いと思った。実務的なことを教えていると、必然的に身体も近くなる。でも、私は他人との距離が30cmを切るか、地肌に触るかすると意識を失ってしまうため、なんとしても距離を保ち続けた。それはとても不自然に映ったに違いない。
 もちろん私は客とも触れ合わない。薄い透明の手袋をしているため、釣り銭を渡すときも相手の手に触れなくてすむ。たまに「その手袋、何?」と好奇心をむき出しにした客に出会うこともあるが、「病気なので」と言うと、気の毒そうな顔をしてくれる。
 話を進めよう。タカダ君がバイトとして入ってきてから2ヵ月ほど経ったある日、「話がある」と言われ、勤務後にコンビニの駐車場に呼び出された。私の教え方がまずいからと言って説教でもされるのかと思ったが、彼の口から出てきた言葉は「付き合ってください」だった。そしてその手を差し出してきた。つまり握手を求めてきているということだ。私は嬉しい想いと戸惑いで混乱し、どうしていいかわからなかった。そんなとき、なぜそんなことを思ったのか、このタカダ君が差し出してきている手は雑菌だらけだということだった。一度思ってしまうと、私はその考えから抜け出すことはできない。雑菌、雑菌という2文字がグルグルと頭の中を駆け巡り、いま自分がどういう状況にいるのか把握することが困難になった。そんなまるで過呼吸のようになっている私を見て、タカダ君は「緊張しているの。大丈夫だから」と言って手を近づけてきた。私は思わず「雑菌! 雑菌!」と叫んでしまった。タカダ君はザッキンという単語がよくわからなかったのか、「は? は?」と大声で何度も聞き返してきた。

おもしろい人狩り

 私が憎くて憎くてたまらないものの話をします。それは、おもしろい人です。
 おもしろい人。あなたたちの周りにもいますでしょう。「あの人、おもしろい人だよね」と言われている人。私はああいう人たちが憎い。本当に憎い。腐ったオクラで作ったスープで原型をとどめなくなるくらいネチャネチャに溶けるまで煮込んでやりたいほど憎い。
 私は幼少の頃から、勉強もスポーツもオシャレも頑張ってきました。その努力の甲斐あって、そこそこの数の男子から告白されたりもしました。有名私大に入ることもできたし、高校の頃はとある部活でインターハイの寸前まで行くことができました。私は親からも先生からもできる子だと言われて育ってきたのです。だがしかし、だがしかし、そんな私の血のにじむような努力を一瞬にして水の泡にしてしまう人種がいます。それが、おもしろい人たちなのです。彼らは何の前触れもなく私の前に現れ、私の人生を愚弄していきます。注目も、好意も、興味も、人々のありとあらゆるポジティブな感情を持っていってしまうのです。私があれだけ時間と労力をかけて、ようやくほんの少しだけ得ることをできたものを、なぜあなたは一瞬で奪い去ってしまうの?
 私は大声で反論したい。おもしろい人って何? そんな曖昧な定義でありながら、どうして学歴や運動神経、ファッションセンスやお金という目に見える価値観の数々を崩壊させることができるの?
 私だって、何度かおもしろい人に憧れて、なってみようと思ったことはありますよ。でも、どこから手をつけていいのかわからないんです。誰も定義やマニュアルをくれないからなのです。ある日、何万回生まれ変わったっておもしろい人になれないと気づいた私は彼らに復讐することを決めました。私があなたたちに振り回されてきた時間と、このとめどなく溢れる哀しみに対する復讐です。
 おもしろい人のターゲットは、それがおもしろい人とされるなら、私はどこへでも行きます。最初は学校のクラスメイト、続いては仕事の同僚、人づてに聞いた友人の友人といった具合にどんどん活動範囲を広げていきました、今では道端を歩いていて「○○ちゃんっておもしろいね」という会話を耳にしたら、その後に用事があってもキャンセルして、尾行して狩りますし、インターネットのブログやSNSなどで、誰かが誰かを「おもしろい」という形容詞で褒めていたときは、何が何でもその人物の住所を特定して、確実に仕留めます。
 狩る方法はその時々の私の気分によります。凶器などを使って相手を物理的に傷付ける場合もありますし、墨汁や果汁をぶっかけて相手の衣服やプライドを汚す場合もあります。そこで相手が、私の行為を笑いに変えて、自分の土俵に引きずり込もうとしようものなら、私は絶対に許しません。徹底的に相手が「ごめんなさい」と謝るまで攻撃し続けますし、相手がシリアスな顔で怯えるのを見るのがうれしくて仕方ありません。どうだ見たことか、これが世間がおもしろい人だと言って持ち上げている人間の正体だよと。
 こういった活動に人生の全ての時間を捧げているお陰で、私にはずいぶんと友達が減ってしまいました。でもいいんです。こんなに充実した日々は、私の人生には一度も訪れたことはなかったのですから。でも時々、私は28歳にもなってこんな行為をしていて、いつまで続けるのだろうかと疑問に思うときがあります。多分、私がこのおもしろい人狩りをやめるのは、誰かが私のことを「おもしろい」って褒めてくれたときでしょうね。

味オンチ、顔オンチ(目たまご症候群についての症例)

 まずは自己紹介させていただきます。松木麻奈美、27歳。仕事は建築デザイナーをやっております。私は生まれつき、人間の顔を上手に認識することができません。普通の人は髪の毛があって、目があって、鼻があって、口があって、アゴがあるというふうに顔を見ているのかもしれませんが、私はそういった器用なことはできません。ではどういうふうに見えるのかというと、人の“目”にしか注意が行かないのです。鼻とか口とか他のパーツがあることはわかります。ただ、目しか認識できないのです。
 ドラえもんひみつ道具の中に「石ころぼうし」ってありましたよね。あれは姿を消すのではなく、その人のことを石ころとしか認識しなくなる道具です。私の目もこれと同じようなもので、人の顔は目としか認識できません。しかもどういったわけか、その目がタマゴに見えてしまうのです。不思議でしょ? 私が食べるタマゴも、こうして見渡している皆さんの顔も、どちらも同じようにタマゴに見えます。怒らないでくださいね。これは事実なのですから仕方ありません。
 このような症状を、医学的には「目たまご症候群」と呼ぶそうです。確率的には7000万人に1人という天文学的な数字だそうです。
 私がこの症状を持っているゆえにどういったデメリットがあるかというと、やはり接客業ができないということですよね。大学を卒業した際に、ふとした気持ちで受けてしまった化粧品会社からの内定をいただきましたが、やはり人の顔を見て製品の良し悪しを判断する職業ですから、やはり私にはできないと思い辞退しました。で、何が私にできるかということを考えた結果、こういった建築デザイナーという仕事についたわけです。この仕事はほぼ図面との戦いのため、顔とタマゴの見分けがつかないことはそんなに苦になりません。主要取引先の人にはきちんと説明しておけばわかってくれますから。そういった意味では、あまり私生活には支障がないとも言えますよね。
 ただ、友達の女の子たちと、男の子の顔についての話題をするときは本当に困ってしまいます。「あの人、カッコいいよね」なんて同意を求められても、私にはタマゴにしか見えないのですから!
 味覚にも味オンチという言葉があるように、私は完全に顔オンチなんだと思います。今の旦那はもちろん顔ではなく、性格と声、雰囲気がいいなーということでお付き合いすることになりました。友達からは「なんであんなヤマアラシみたいな男と」と首をかしげられましたが、私にとってはヤマアラシも男性アイドルも同じタマゴなのです。
 このように私が人前に立って自分の症例を話すことで、「世の中の全ての顔は、それが顔ではないように見えている人もいる」ということをわかっていただければ嬉しいです。本日はご清聴いただきありがとうございました。(拍手)